腐った鯛は食べられない
月に一回ほど一人で行く居酒屋さんがある。カウンターとテーブルひとつの小さなお店だ。
老夫婦が切り盛りしていて僕のようなものにでも快くお酒を出してくれるし、色々な話を聞かせてくれる。どことなく高貴な雰囲気がある二人だ。
そんな二人の人柄によってか常連さんがたくさん来ている。
こういった常連さんとの会話も僕の楽しみのひとつだ。
ある日いつものように店に行くと隣の席が一人で来ている女性で、すでに女将さんと美容の話などをして盛り上がっていた。
色々な人が来ていてこの空間自体が居心地が良いなと、飲んでいると女性から話しかけてくれた。
どんな仕事をしているのか、よく店に来るのか、など他愛ない話をしていると女性が私に問いかけてくる。
「ね、いくつに見える?」
小悪魔的質問だ。
これから、よりプライベートな、パーソナリティに近づく会話に進んで行くのだろう。
一抹の期待やトキメキが生まれる。
が、
相手は老婆なのである。
老婆からの「いくつに見える?」
なに?老婆は老婆歳だろ。
しかしここで「一人に見えます〜!」とかいうしょうもないボケを返そうものなら髪を抜かれてカツラを作られるだろう。
「え〜おいくつなんですか?肌とかお綺麗ですよね」
精一杯の褒め言葉と問いへの回避に対し老婆は
「何歳か当たったら奢ったるわ」
さっきまでの淑やかさはどこに行った。
急に漁師町のボスみたいになりやがって。
さっきまでの会話の内容から80代だろうと予想はついた。
しかし僕はジェントルメンであり、しかも老婆は美容に気を使っている。
若く答えるのが礼儀だろう。
しかし想像してほしい。
何歳下に見れば良いんだ?
32歳の人なら27位に答えたら喜ばれるし最悪性交渉だろう。
しかし相手はおそらく80代の老婆。
気を使って60代とか言ったひにゃあもう「ふざけてんのか!!!若くいえば良いと思いやがって!!!」とこれまた髪を抜かれる。
しかし80の老婆は70代と言われて嬉しいのか?
ババアである事に変わりはなくない?
老婆のなかにも「少老婆」「青老婆」「壮老婆」「老老婆」「骨」など段階があるならわかる。一個下の婆を言えばいい。
現実にはそんなものはなく全て同じ老婆だし、あったとしても僕は知らないから詰み。
酔いも周り思考も低下する。
腹をくくろう。
「72とかですか..?」
すると老婆は満面の笑みで
「82なのよ〜〜!」
あ、嬉しいんだ。
老婆は10歳ほど下に見たら嬉しいのか。
老婆は機嫌よく僕に一杯奢ってくれて会計をすませ、雨の降る闇に消えていった。
老婆の行方は、誰も知らない。